「ものづくりへのリスペクト」独り言#9

こんにちは、宿屋のおやじです。

お盆連休も終わり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は宿屋ということもあり、長期休暇の時期は仕事をするようにしています。観光業界はみんなが休みの時に休みじゃない、それが当たり前だなんて声もありますが、僕はどちらでも好きにしたら良いと思うし、好きにできるように力をつけることに努力と思考を積み重ねる以外にやれることはないと思っています。

ちなみに、僕はみんなが休みの時に働いて、みんなが働いている時に休むのが好きな派です。ただ、スタッフの中にはそうでない人もいるであろうし、そのような休みの問題で観光業界に入る人間が少なくなるのは損失なので、長期休みでも休みたい人が休める宿になれるように試行錯誤中です。


さて、話は変わりますが、僕は小さい頃からものづくりというか何かを作ったり始めたりするのが好きな方です。以前も書いたことがあるかもしれませんが、秘密基地を作ったりするのが好きでしたし、小さな用水路に石を並べて川の流れを作って葉っぱレースをしたりするのが好きでした。終わった後に片付けをしていなかったので、今考えるととても迷惑でした。近くの農家の方々、ごめんなさい。
どちらかというとザ・物というよりかは、空間や会場みたいなものを作ることが好きで今の宿屋にも繋がっているのだと思うのですが、本当にザ・物づくりをしている方へ、人一倍のリスペクトがあります。

大小、高い安い、関係なく、一つの物を作ることに人生をかけて取り組んでいる方々はとても素敵です。
我々の住む氷見の街にも、ものづくりに人生を賭ける同世代の方々がいます。


例えばこの方。

魚の皮(フィッシュレザー)を用いて、財布や名刺入れをはじめとしたさまざまな革製品を展開しているブランド「tototo」の野口さん。

▼tototo公式HP
https://www.tototoleather.com/


魚の皮というと色々なイメージが浮かぶと思います。はっきりと言ってまずはマイナスなイメージや大丈夫?という感想が出てくるかと思いますが、ご安心ください。今あなたが頭に浮かんだマイナスイメージは全てクリアされております。むしろ、イメージすらわかなかったプラスな感想を抱くことになるでしょう。その一つがクセになる肌触り。魚の皮の肌触りは他の皮に比べてより生命のダイナミズムが感じられます。また、革の厚さに由来して、さまざまなものへの加工幅が広いことも特徴の一つかもしれません。

と、まぁ機能的な良さや芸術的な良さについては、tototoさんのホームページや実際の商品を見てもらえれば分かってもらえると思うのでこの辺で置いといて。
僕が伝えたいリスペクトポイントは、代表の野口さんの人間性です。


リスペクトポイントその①
漁業文化栄えるこの町で、価値を見出されていなかったものに価値を与えているという点。

富山県氷見市は言うまでもなく、魚の町である、と多くの市民が認識しています。
そんな中、魚の皮というのは多くの場合ただただ廃棄されるだけの存在でした。
そこに光を当てて、価値のあるブランド品として世の中に届けているというその行為は僕にとっては”美しさ”を感じる物であります。
言ってしまえば、ジェラシーを感じるほどの筋の通っている町の活性化手法だと思います。そこの着眼点がまず素敵です。


リスペクトポイントその②
市場がほぼゼロのところに挑戦し続けているという点。

フィッシュレザーという言葉ってみなさん聞いたことありましたかね?
僕は全く聞いたこともなかったし、当然見たこともなかったです。野口さんが始めた数年前にはその市場はほぼゼロに近かったようです。
それでもフィッシュレザーの可能性を信じ続け、果敢に挑戦され続けている姿はリスペクトそのものです。

僕自身は、その当時氷見になかった”洋風民宿”をやろうと思ってイミグレを始めましたが、それでも元々ある氷見の民宿需要の中の物好きな方に1%でも来ていただければ成り立つだろう、との考えで始めました。既にある市場からの流入をあてにしていたということですね。
それが野口さんの場合はゼロから。


また、彼の場合は職人でありながらも経営者としてより多くの方にフィッシュレザーの魅力をお伝えするには?というところにも正面から取り組まれている姿も素敵だなと思います。

50年後、まだ氷見に住み続けるためには、彼のように思いを持って、自分で価値を生み出していくという精神を少なからず持ち合わせていないといけないではないか、と思う今日この頃です。

情報が溢れる時代、商品やサービスの価値で差別化が難しくなってくる時代。
だからこそ、広報活動に力を入れる手前の、その土台として「思いを持って良いものを作る」ということにより一層焦点を当てて仕事をしていきたいなと思います。

ちなみに僕はtototoの名刺入れを使用中です。そしてこの前会った時に長財布の無茶オーダーをしてきました。
みなさんもぜひHP見てみてください。

なんかPRぽくなりましたが勝手に書いてます。野口さん迷惑でしたらごめんなさい。ま、いっか。


– 宿屋のおやじ –

「タウンミーティング」独り言#8

こんにちは、宿屋のおやじです。

まだ学生の頃に聞いたタウンミーティングという言葉は、国会で使われていた「タウンミーティングじゃないんですから」でした。
その時はタウンミーティングってなんだろう?とすら思っていなかったかもしれません。ですが大人になった今、ときたまそういったものに参加させてもらっています。

タウンミーティングといえば、市民が集まって定められたテーマについてアイデアを出したり議論をしたりするものや、行政が市井の声を聞くために行うものなどがあるかと思います。
いずれの形においてもその場で何かが決定することや法的な拘束力を持つような場ではありません。そのことに対して、以前の僕は「なんでこんなことをするんだろう?意味なくない?市民より行政の人の方が色々知っていて賢いから行政が決めたほうが良くない?」と、かなり否定的に捉えていました。しかしながら、参加していく中で感じたことは「タウンミーティングという手法自体は有用である」ということでした。議題に対して複眼的に捉えることや思いついていないアイデアを得られる可能性もありますし、全体の合意形成を図る上でも有用です。しかしながら、あまり実りのなさそうな会があるのも事実です。いわゆる形骸化してしまうというやつです。

タウンミーティングが形骸化してしまう理由は”参加者”にあります。
参加者には主催者側(主に行政)と参加者側(主に市民)が存在しますが、それぞれの考え方やスタンスによって、この成果は大きく変わると思います。

例えば先日、富山県知事と一緒に富山の未来を考えるというタウンミーティングがありました。
そこでは、県知事から富山県が抱える課題や将来への方向性を聞いたり、30年後の未来にどんな町でありたいか、そのために今何をすべきか、といった内容でグループディスカッションを行いました。

会自体は沢山のアイデアが出たり、活発な交流が見られたりと大いに盛り上がっていたのではないかと思います。
ですが、これが本当に未来の富山を良くすることを目指す会であれば大切なのはここからです。今日出たアイデアが将来を良くするものであるならば、それは絶対に実現しなければいけない。その実現に向けて行政と市民が双方に努力をしていけるかどうかが非常に重要なのです。

行政側としては、市民の声を吸い上げ政策に反映している、というポーズのためだけではいけないし、今回の意見がどのように反映され、どのように反映されなかったかを開示すべきです。
一方で市民側は、好きなことだけ言いっぱなしであとは行政がなんとかしてください、というスタンスではいけないでしょう。言ったからには小さな一歩でも良いから一人ひとりの市民が努力をすると良いでしょう。
もっと言えば、そうしない限り僕らのような消滅可能性都市は存続が難しいと思います。
「こうなったら良いな、ああなったら良いな」だけでは誰もそれを叶えてくれません。なぜなら現代は人も金も潤沢でないから。地方で楽しく暮らすためには自責の念を決して忘れてはいけないと思うのです。
夢を見ることを良いことです、理想を掲げるのは良いことです。ですがそれだけではダメで、
「ああなったら良いな、だからこれをやろう」と自分達で動くところまでセットでやる覚悟を持つことが大切なのだと思います。

なので件のタウンミーティングが本当の意味で良いものであったかどうかは今はまだ判断ができず、これからの我々自身の動きによって決まると言えるでしょう。


ところでそのタウンミーティングの中では、AIや機械が進化した未来でこの町はどうなっているか?という問いかけがありました。それに対して僕は「本物の人間が接客している宿があるということで大バズり」と答えました。

今後ますますリアルの接客やリアルの体験の価値が高まっていきます。これは、人の温かみがやっぱり良いよね、というふんわりしたものもあるのですが、シンプルに”リアル接客の希少性が高まること”による価値の上昇があると思っています。
人間による接客とロボットによる接客の優劣や良し悪しは見る観点によって異なると思いますが、今後ますます接客分野においても省人化・機械化が進むでしょう。数十年後か、数百年後か、世の商業施設から人が消えるその時にも、イミグレでは人間による接客をお届けしたいと思っています。

話がそれましたが、先日のタウンミーティングで発言した未来を勝ち取るために、無くならない接客サービスを磨いていこう、と自分で勝手に決めたというお話です。

タウンミーティングや有識者を集めた会議などは、複数の視点から議題をあらうことで気づけなかった課題に気づける良い手法でもある一方、誰かが主体的じゃなくなった途端、時間の無駄以外の何物でもない時間へと変貌します。


このことを念頭に置いてこれからの宿運営やまちづくりに携わっていきたいと思うばかりです。


– 宿屋のおやじ –

ひみまつりの情報サイトを公開!

今年も氷見の夏を彩る一大イベント、「ひみまつり」の季節が近づいてきました。

「ひみまつり」は、かつて氷見市の中心街を襲った「氷見大火(昭和13年)」の復興を願って始まった「氷見産業祭」を前身とし、昭和48年に現在の形でスタートした歴史あるお祭りです。

比美乃江公園を中心に、氷見の魅力がぎゅっと詰まった催しが盛りだくさん。
地元の人々だけでなく、県内外から多くの方が訪れる、氷見の夏の風物詩となっています。


見どころは「ブルーインパルス」と「花火大会」

今年の最大の見どころは、なんといっても航空自衛隊ブルーインパルスの展示飛行です!
青空を舞うその姿は、見る人すべてを魅了する美しさ。氷見の空に描かれるその軌跡は、きっと忘れられない夏の思い出になるはずです。

そして夜には、海辺の夜空を彩る大花火大会。
打ち上げ場所と観覧場所が近いため、迫力ある花火を間近で楽しめるのも氷見ならではの魅力です。


非公式の情報サイトを開設

「ひみまつり」はとても魅力的なイベントですが、「市の公式情報が分かりづらい」「情報が点在していて探しにくい」という声も多く聞きます。

そこで今回、当宿では来場される皆さまがもっと安心して楽しめるよう、非公式の情報サイトを立ち上げました!


↓サイトはこちら↓
https://himimatsuri.imigre.jp/


※公開情報を元に正確に記載しておりますが、転記ミス等がある可能性がございます。詳細は、氷見市又は氷見市観光協会HPをご確認ください。


ブルーインパルスの展示飛行時間は?

6月26日現在では、ブルーインパルスの展示飛行時間は発表されていません。
7月中旬以降に発表予定となっております。

「地元とはいつから地元になるのか」独り言#7

こんにちは、宿屋のおやじです。

このブログを始めた理由のひとつに
「AIには書けない自分自身の思いを綴ることで、誰かの心に届くかもしれない」
と思ったということがあります。
感じたことや考えていることをダラダラと、体裁も気にせずに書き殴る、これはAIでは絶対に無理なことだ!と思っていたのですが。。。先ほどとあるAIさんに「宿屋のおやじの独り言のブログを一通り見て、新たな記事を書いてみて」と言ったところ、僕より僕らしい、僕の思いを代弁してくれるような素晴らしい記事が上がってきました。なんか、辛いです。

気を取り直して、AIに勝つ負けるではなく、一緒に共存していこうとソッコーで切り替えました。

そんな僕のAIとの共存方法は、宿屋のおやじとしてこれついてはどう思っている?や、みんなに興味を持ってもらえるテーマはこれだと思うよ、とテーマを提案してもらい、それに基づいて僕が独り言をつぶやくというスタイルです。

基本的には普段生きていて、書きたくなったことを書いているのですが、たまにはテーマをもらってそのことについてみるのもネタが尽きなくて良いなと思ったのです。


というわけで、本日はAIさんが投げてくれたテーマ
「地元とはいつから地元になるのか」です。

なかなかに面白いテーマだと感じます。
僕自身は生まれてから高校の卒業まで、当館のある富山県氷見市で育ち、大学と仕事で8年間大阪に住んで、26歳の時にUターンで地元に戻ってきたという流れです。ですので僕にとってはあまり違和感なく、氷見が地元だと思います。

地元と思えることの良し悪しはあるとは思いますが、基本的に僕の考えは、地元とは自分にとってのよすがとなるものであり、ポジティブに捉えています。言い換えるとふるさととも呼ぶかもしれません。
ですので地元はあると良いんじゃないかなーなんて思います。


では、地元とは生まれ育ったからそうなのでしょうか?長く住んでいるからそうなのでしょうか?
そうとも限らないでしょう。移り住んで1年で地域の人気者みたいな方もいれば、住んでいないのに地元民のような方もいます。

地元とは、出自や時間による場所のことではなく、
”覚悟や関わりによって醸成されるポジティブな心のもちよう”
を与えてくれる場所だと僕は考えています。

共に生きる(直接的な居住に留まらない)覚悟と定期的で継続的な関わり、その関係性から生み出される、心をぽかぽかさせてくれる場所やコミュニティのことを地元と呼ぶのだと思います。

綾波レイにとっては碇シンジ君がそうであったように、心をぽかぽかさせてくれる何かを地元と呼ぶのです。ですから、生まれ育って長く住んでいても、「この町は面白くない、どこかに行きたい」と思っている方にとってはそこは地元ではないのかもしれません。

そう考えると、僕にとっての氷見という町はまさに地元と言えるでしょう。
最近、宿のエントランスまでの短いアプローチを苔庭風しようと、そこらへんの道端から苔を取ってきて移植しています。先日、田んぼ道を運転中に大きな苔の塊を見つけ、すかさず採取したのですが、その時も心がぽかぽかしていたように思います。先日は宿仲間と海を見ながらBBQをしていたら、浜辺でシニアのご夫婦が釣りを楽しんでいらっしゃったの見て心がぽかぽかとしました。

日常のいろんなシーンにぽかぽか要素があるこの町は、まさに僕にとってかなりの地元だと思います。もしかすると、世界のどこにいてもその場所のぽかぽかを感じられる能力を手にすれば、人生がもっと楽しく生きやすくなるのかもしれません。

タイトルの問い「地元とはいつから地元になるのか」
その答えは「覚悟を持って継続的にその地域と関わると決めたその日から」となるのではないでしょうか。


– 宿屋のおやじ –


「人間的トレーニング」独り言#6

こんにちは、宿屋のおやじです。

私ごとですが、数ヶ月前に子を授かりました。
日々、子育てにあくせくしていたりもするのですが、その中でうつ伏せの練習、いわゆる「タミータイム」なるものがあります。ベビーの発育を促す効果があるようで安全面に配慮しながら行っています。この練習というか遊び中、ベビーは顔をあげようと頑張っており、自然と「がんばれ〜」と応援の声が出ます。赤ちゃんは生まれて間もない頃から、いや、生まれる前からすごく頑張っています(母も当然すごく頑張っていらっしゃいます)。


赤ちゃんの時期には、ハイハイから始まり、立ち上がって歩く、言葉を発する、ご飯を食べる、どれも始めてのことばかりで、周りから応援されて、めちゃめちゃ頑張ります。
小学生になれば、勉強を頑張ったり、スポーツを頑張ったり、文化や芸術やボランティア活動を頑張ったり、これは多くの方では18歳くらいまで続き、その後も進学して頑張り続ける人もいるかもしれません。

このように子供の頃は、常に頑張れと応援され続け、何かしら広い意味でトレーニングに勤しんできたように思います。これは人というか人間というか社会的動物としてより良く生きていくためのトレーニングであったと思います。

そんな時ふと思いました。
”大人になってから成長のためのトレーニングってしてるんだっけ?”

もちろん、生計を立てるため、家族を養うため、仕事を一生懸命に頑張られている方が多いと思います。かく言う私も、生きていくためにも仕事を一生懸命に頑張っているつもりです。ですが、自分を省みると、人としての成長のために頑張れているかというと、疑問符が残ります。
もっと言うと、生活のための努力に加え、自分が作りたい世の中(身の回りの社会)やありたき姿への頑張り、幼い時には当たり前にできていた、人として成長するための努力をできているかどうかということです。


少し、抽象的な話になってきました。


一方で、仕事を通じて人間的な成長を得る、ということも大いにあると思っています。僕自身、前職時代も宿屋を始めてからも、仕事を通じて学ぶことばかりです。社会を構成しているのは自分の頭では到底考えられない膨大な事物であり、そしてまたそれらが複雑に絡み合っているのだということ。人を動かす、心を動かすということが非常に難しく、尊いものであるということ。とにかく日々新たな発見に満ち満ちています。


いよいよ何の話か分からなくなってきましたが、仕事と地域と自分、これが一本の筋で繋がっているような生き方をしたいということが言いたかったのだと思います。
田舎で生きたいと思うならば、社会インフラのことや地域システムの持続可能性を考えざるを得ません。地域の衰退はかなりダイレクトに社業の盛衰に関わってくるからです。社業の発展と同時に地域の活性を考えることが必要不可欠なのです。その1番の近道は良い事業を作ってそれを拡大させ、やりがいと収入の伴った雇用を生み出すことだったりするので、また仕事の話に戻ってきたりもします。。。


稼ぐこと、貢献すること、自分のやりたいこと、この3つが可能な限りリンクするような生き方ができることが幸せのカタチなのではないかとも思う、今日この頃です。我々の会社の名前は「ユメミガチ」というのですが、そんな生き方を望む夢見がちな宿屋のおやじが、夢見た者勝ちの世の中にしたいと思って作った会社です。今後ともご贔屓くださいませ。


このブログでは毎回分不相応な理想を語っているので、書いた後にいつもちょっとした自戒と明日への緊張感に繋がる何とも言えない感じになります。これもまた人間的トレーニングだと思って引き続き呟いていきたいと思います。


みなさん、頑張りすぎもそれはそれでほどほどにして、美味い飯食って美味い酒飲んで早めに寝てください。


宿屋のおやじ

「観光地インスペクション」独り言#5

「インスペクション」とは英語で「検査」や「点検」を意味する言葉です。

よく使われるのは住宅売買などの世界で、物件を点検や精査することを指すことが多いようです。
同じようにホテル業界でも、チェックイン前に客室の不備がないかを確認する作業などもインスペクションと呼ばれていたりします。要するに現状のチェックですね。

点検を行い、問題や不備があれば修理や改善を行う。作ったら作りっぱなし、提供したら提供しっぱなしではなく、常に現状を確認しより良い状態に保っていきましょう、という話です。

とても重要なことで、宿泊施設でお客様が入られる前にお部屋のチェックをしていないところはないでしょう。それくらいに当たり前で重要なことです。
ですが、”観光地”という単位で考えるとどうだろうか。例えば、僕は富山県氷見市の観光協会に属しています。そんな自分は氷見市を観光しているだろうか?県外から来られるお客さんの目線で観光を体験、もっと言えばインスペクションしているだろうか。

宿を作って、料理を考えて、アクティビティを考えて、「はい、どうぞ!」とした後に、冷静にその内容を振り返り、さらなるブラッシュアップができているだろうか。自信を持ってyesとは言えません。

自分が観光に来たとしたら、何があるとさらに良いか?これはなくても良いんじゃないか?そんな視点を持ち続けることが重要なのだと再確認できたのは、
GW最終日に昼すぎから近くの商店街で酒を飲み始め、なんだか観光に来てるみたいだな〜と思えたからであり、そう思わせてくれる、昼から酒を飲ませてくれるお店があるからであり、つまりは感謝、ということです。


-宿屋のおやじ-

「その土地の光を観る」独り言#4

観光とは、その土地の光を観ると書きます。
語源は中国の易経の「観国之光」という言葉だそうです。
これは(正確には続きがあるようですが)、王が国を巡り、その土地土地の光(特徴や魅力)をよく観察し、国の発展に活かしなさい、という治世のための教えのようです。

僕はこの言葉がとても好きです。観光の本質を捉えているように思うからです。現代風にライトに言うと「観光は、単なるレクリエーションや物見遊山だけでなく、その土地の歴史や文化に触れ、人々と交流し、非日常的な体験をすること」と言えるかもしれません。

それこそ国の目線で言えば、日本各地の魅力を観光商品として整備し、海外のお客様に向けて販売する、所謂インバウンドへの対策に力を入れているように思います。我々のような、ほぼ何も海外のお客様対応ができていない北陸の小宿にさえ、月に10数人は日本語を全く話されない海外の方がおいでになります。そう考えると、我々も国策の一端を担えているような気がしないでもないです。

さて、現代における観光の定義のようなものは概ね上述の通りとして、その効用や目的は?
これをイミグレでは
■効用=「心の可動域が広がる」
■目的=「明日を生きる力を養う」
としています。

僕がこの宿を通して、お越しいただく皆様に提供したいのは、心と言いますか価値観のストレッチです。日々忙しい現代を生きる方々に、日常とは異なる空間でお過ごしいただき、世界の振れ幅を感じていただきたいのです。都会の喧騒の中で生きる方にとっては、夜明け前にポッポと船出する漁師さんの生活が新鮮かもしれません。同じ町に生きる方々にとっては、外国の方が夕暮れのテラスでワインを楽しまれている様子が新鮮かもしれません。


僕ももちろんそうですが、日々を必死に生きていると、見える世界がどんどんと狭まっていくように感じます。ともすると、それが辛さや寂しさに繋がってしまうことだってあるでしょう。なんとも言えない閉塞感に苛まれることもあるでしょう。
そんな時、自分だけではどうしようもなく狭まる視界を広げてくれるのが
紛れもなく「観光」であると僕は信じています。

知らない土地に行って、美味しいものを食べて、美味しいものを飲んで、見たことのない景色や光景を見て、その土地の人に出会い、文化や暮らしの一端を垣間見て、「こんな世界や生き方もあるんだな」と知ることで心が少しだけ軽くなる。そんな時間をご提供できれば、明日がちょっとだけ明るくなるんじゃないかなと思っています。


まだまだ改善すべきところは多いですが、理想のお宿に向けて日々精進してまいります。


宿屋のおやじ

「開店と閉店」独り言#3

故郷に戻り、宿泊施設を始めて丸7年が経とうとしています。
安定とは程遠い状況ではありますが、いろいろな方に支えていただいてなんとか営業を続けられています。また、少しずつではありますが、自分が作りたい宿泊施設、お届けしたい旅行のスタイルに近づいてきているのではないかと思います。

この間、ここ富山県氷見市でも多くのお店が開店し、残園ながら少なくない数の閉店がありました。コロナや地震もあり、致し方無い閉店も多かったように思います。
僕らのような地方の町では、新たなお店がオープンすると大きなニュースとなり、メディアや人づてで大きく取り上げられます。一方で閉店となるともちろんメディアで取り上げられることもなく、真偽不明の噂話が一人歩きしたりもします。

同じ店舗を構える同業者として、閉店のニュースを聞くたびにチクっと心を刺されるような感覚になります。ひとつは”明日は我が身”という自戒の念によるもの。もうひとつは”何かできたのでは?”という後悔の念。
自分達のお店で手一杯の状態ではありますが、それでも同業者として何かできることはあったんじゃないか、と思わざるを得ません。小さな町です。みんな知り合いのようなものなのですから。


情報に溢れた社会ではありますが、自分にとって必要な情報を十分に得られているかどうかと言われると、自信を持ってyesと答えられる人はどれだけいるでしょうか。
その町特有の集客施策、業界特有の流通網、困った時に相談できる相手。これらがあればもしかすると継続できたお店もあったかもしれません。自分自身には力はなくとも力のある人を適切に繋ぐことはできたかもしれない、そんな後悔の念です。

分不相応ではありますが、”移り住みたくなる宿”はそんな、人と人との繋ぎ役も務めてこそだと考えています。この町で困ったことがあればイミグレさんに聞いてみよう、宿屋のおやじに聞いてみよう、そう思っていただけるようにこれからも励んで参ります。


宿屋のおやじ

「どんな旅がお好き?」独り言#2

こんにちは、宿屋のおやじです。

ワタクシども、宿屋をやっているわけですから、当然、理想のというか好きな旅行スタイルがあるわけです。それも複数のおすすめ旅行タイプがあり、旅行に行く際は毎回、今回はどのスタイルで行こうか、なんて考えるところからが旅行の楽しみだとも思っています。本日は僕が”旅って良いものだな”と思い始めた頃の旅行スタイルをご紹介します。その名も「オーナー数珠繋ぎハシゴ酒旅」。


ホテルを始める以前、僕は大阪の企業に勤めていたのですが、業務内容上全国各地への出張が多くありました。観光業界に携わる仕事でもあったので、勉強も兼ねて、出張の前後に休みを合わせてひとり旅をしていました。その中で初めての土地に行く際によくおこなっていたのが「オーナー数珠繋ぎハシゴ酒旅」です。
読んで字の如くですが、店から店へオーナーさんの紹介をもとにはしご酒をおこなっていくのです。一番最初にやったのは、沖縄本島の旅行でした。まずは、その土地の有名な飲食街に出向きます。沖縄だと国際通りになりますかね。その中の屋台村に赴き、まずは腹ごしらえと情報収集です。王道の沖縄料理居酒屋、なるべくならば店主と話ができるこじんまりとした、混み過ぎていない店がおすすめ。

まずはその土地の名物料理を楽しみながら(その当時24歳くらいの自分は島らっきょうの美味しさに感動していました)、店主とお話し。観光地の飲食店さんは観光客慣れしていますから、こちらの話したいオーラを感じ取って地域の情報を教えてくれました。会話の中で次のお店のおすすめをお聞きしてそのお店に向かう、ということを繰り返していくという旅のやり方なのですが、これが実におもしろい。
基本的には地元の店主さんがおすすめしてくれるので変なお店は無い。また、「どこどこのマスターに紹介していただいてきました」というと次の店の店主も安心して受け入れてくれます。今、逆にお店をやる立場になってみると、近所のお店から紹介で来られたお客様には、より一層不手際がないように、とどうしても感じてしまいます。我ながら、うまい作戦だったように思います。

それに加え、面白いのは店をハシゴする度に仲間が増えたりすることw
移動するたびにどんどん地元のディープな店へと続いて行き、そこには地元のお客さんで賑わうお店が多くなります。そうすると、そのお店の常連のおっちゃんと仲良くなり、次の店に連れていってもらうなんてことが発生します。また気付けば別の観光客の方を誘って合流したり、なんてこともありました。また当時の沖縄には同年代でお店をやっている人が複数人いて、仕事的にも非常に刺激を受けたことを覚えています。



さて、旅の醍醐味のひとつには「その土地の日常を感じる」ことがあると思います。食や自然や観光名所や温泉だけでなく、その土地に根付く暮らしを疑似体験することは、ある種、別の人生を感じることだとも思います。と、するならば旅とはやはり、自身の人生観や価値観を拡張してくれるものであり、人生に喜びや潤いを与えてくれるものに他ならないと感じるのです。そんな感じの旅の原点があり、観光業というものが本当に好きになったのだなと今振り返るとそう思います。


あなたはどんな旅がお好き?

「宿屋のおやじ」の独り言 #1

こんにちは。
イミグレ代表の松木です。今後は「宿屋のおやじ」という名前で活動していこうと思います。
旅館や民宿の経営者のことを仲間内では”旅館のおやじ”なんて呼んだりします。僕はこれまで沢山の素敵な”旅館のおやじ”とお会いさせていただきました。そんな先輩方に追いつけるように、しかしながら当館は旅館って感じではないので、「宿屋のおやじ」と勝手に名乗っております。
自分の考えや感じたことを家族やスタッフや友達にずーっと話していると嫌われそうなので、誰にも見られていなさそうなこのブログを使って書き綴っていきたいと思います。

さて、そもそも僕がなぜ宿を始めたか。
これは何を隠そう自分のためです。自分が人生をかけて熱中できることをやって人生を楽しみたい、欲を言えばそれが誰かにとってちょっとでも役に立っていたら最高だ、なんてことをずっと思っていました。話すと長くなるので割愛しますが、自分の生まれ育った、控えめに言って大好きな富山県氷見市の良いところをお届けすることをやりたい、それも商売としてやりたい、というのがスタートです。

宿のコンセプトに”移り住みたくなる宿”と大層なことを掲げております。氷見の魅力である食・自然・人の魅力をPRし、移り住みたくなるほどひみを好きになってくれる方を増やしたいという思いを込めております。そんな活動を続けていくと、人口減少が進むこの町の明るい未来にもわずかでも貢献できるのではないかとも思っています。

ただ、どこまでいっても”自分がやりたいからやっている”をということを忘れないように気をつけています。そうしないと、上手くいかない時に他人のせいにしてしまう弱い自分が出てきてしまうからです。他人のせいにした瞬間、その問題の解決策への思考が巡らず、結果どんどんと悪い方向に流れていってしまう。そんな悪循環を避けるための防護壁みたいなものだと思っています。


初回からなんの話をしているか分からなくなってきましたがこんな感じで、”海辺で小さな宿を営む経営者の日記”のような感覚でときたま更新していきたいと思います。

引き続き『イミグレ』をどうぞ宜しくお願いいたします。

-宿屋のおやじ-