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こんにちは、宿屋のおやじです。
私ごとですが、数ヶ月前に子を授かりました。
日々、子育てにあくせくしていたりもするのですが、その中でうつ伏せの練習、いわゆる「タミータイム」なるものがあります。ベビーの発育を促す効果があるようで安全面に配慮しながら行っています。この練習というか遊び中、ベビーは顔をあげようと頑張っており、自然と「がんばれ〜」と応援の声が出ます。赤ちゃんは生まれて間もない頃から、いや、生まれる前からすごく頑張っています(母も当然すごく頑張っていらっしゃいます)。
赤ちゃんの時期には、ハイハイから始まり、立ち上がって歩く、言葉を発する、ご飯を食べる、どれも始めてのことばかりで、周りから応援されて、めちゃめちゃ頑張ります。
小学生になれば、勉強を頑張ったり、スポーツを頑張ったり、文化や芸術やボランティア活動を頑張ったり、これは多くの方では18歳くらいまで続き、その後も進学して頑張り続ける人もいるかもしれません。
このように子供の頃は、常に頑張れと応援され続け、何かしら広い意味でトレーニングに勤しんできたように思います。これは人というか人間というか社会的動物としてより良く生きていくためのトレーニングであったと思います。
そんな時ふと思いました。
”大人になってから成長のためのトレーニングってしてるんだっけ?”
もちろん、生計を立てるため、家族を養うため、仕事を一生懸命に頑張られている方が多いと思います。かく言う私も、生きていくためにも仕事を一生懸命に頑張っているつもりです。ですが、自分を省みると、人としての成長のために頑張れているかというと、疑問符が残ります。
もっと言うと、生活のための努力に加え、自分が作りたい世の中(身の回りの社会)やありたき姿への頑張り、幼い時には当たり前にできていた、人として成長するための努力をできているかどうかということです。
少し、抽象的な話になってきました。
一方で、仕事を通じて人間的な成長を得る、ということも大いにあると思っています。僕自身、前職時代も宿屋を始めてからも、仕事を通じて学ぶことばかりです。社会を構成しているのは自分の頭では到底考えられない膨大な事物であり、そしてまたそれらが複雑に絡み合っているのだということ。人を動かす、心を動かすということが非常に難しく、尊いものであるということ。とにかく日々新たな発見に満ち満ちています。
いよいよ何の話か分からなくなってきましたが、仕事と地域と自分、これが一本の筋で繋がっているような生き方をしたいということが言いたかったのだと思います。
田舎で生きたいと思うならば、社会インフラのことや地域システムの持続可能性を考えざるを得ません。地域の衰退はかなりダイレクトに社業の盛衰に関わってくるからです。社業の発展と同時に地域の活性を考えることが必要不可欠なのです。その1番の近道は良い事業を作ってそれを拡大させ、やりがいと収入の伴った雇用を生み出すことだったりするので、また仕事の話に戻ってきたりもします。。。
稼ぐこと、貢献すること、自分のやりたいこと、この3つが可能な限りリンクするような生き方ができることが幸せのカタチなのではないかとも思う、今日この頃です。我々の会社の名前は「ユメミガチ」というのですが、そんな生き方を望む夢見がちな宿屋のおやじが、夢見た者勝ちの世の中にしたいと思って作った会社です。今後ともご贔屓くださいませ。
このブログでは毎回分不相応な理想を語っているので、書いた後にいつもちょっとした自戒と明日への緊張感に繋がる何とも言えない感じになります。これもまた人間的トレーニングだと思って引き続き呟いていきたいと思います。
みなさん、頑張りすぎもそれはそれでほどほどにして、美味い飯食って美味い酒飲んで早めに寝てください。
宿屋のおやじ
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