「2025年08月」の記事一覧

「ものづくりへのリスペクト」独り言#9

こんにちは、宿屋のおやじです。

お盆連休も終わり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は宿屋ということもあり、長期休暇の時期は仕事をするようにしています。観光業界はみんなが休みの時に休みじゃない、それが当たり前だなんて声もありますが、僕はどちらでも好きにしたら良いと思うし、好きにできるように力をつけることに努力と思考を積み重ねる以外にやれることはないと思っています。

ちなみに、僕はみんなが休みの時に働いて、みんなが働いている時に休むのが好きな派です。ただ、スタッフの中にはそうでない人もいるであろうし、そのような休みの問題で観光業界に入る人間が少なくなるのは損失なので、長期休みでも休みたい人が休める宿になれるように試行錯誤中です。


さて、話は変わりますが、僕は小さい頃からものづくりというか何かを作ったり始めたりするのが好きな方です。以前も書いたことがあるかもしれませんが、秘密基地を作ったりするのが好きでしたし、小さな用水路に石を並べて川の流れを作って葉っぱレースをしたりするのが好きでした。終わった後に片付けをしていなかったので、今考えるととても迷惑でした。近くの農家の方々、ごめんなさい。
どちらかというとザ・物というよりかは、空間や会場みたいなものを作ることが好きで今の宿屋にも繋がっているのだと思うのですが、本当にザ・物づくりをしている方へ、人一倍のリスペクトがあります。

大小、高い安い、関係なく、一つの物を作ることに人生をかけて取り組んでいる方々はとても素敵です。
我々の住む氷見の街にも、ものづくりに人生を賭ける同世代の方々がいます。


例えばこの方。

魚の皮(フィッシュレザー)を用いて、財布や名刺入れをはじめとしたさまざまな革製品を展開しているブランド「tototo」の野口さん。

▼tototo公式HP
https://www.tototoleather.com/


魚の皮というと色々なイメージが浮かぶと思います。はっきりと言ってまずはマイナスなイメージや大丈夫?という感想が出てくるかと思いますが、ご安心ください。今あなたが頭に浮かんだマイナスイメージは全てクリアされております。むしろ、イメージすらわかなかったプラスな感想を抱くことになるでしょう。その一つがクセになる肌触り。魚の皮の肌触りは他の皮に比べてより生命のダイナミズムが感じられます。また、革の厚さに由来して、さまざまなものへの加工幅が広いことも特徴の一つかもしれません。

と、まぁ機能的な良さや芸術的な良さについては、tototoさんのホームページや実際の商品を見てもらえれば分かってもらえると思うのでこの辺で置いといて。
僕が伝えたいリスペクトポイントは、代表の野口さんの人間性です。


リスペクトポイントその①
漁業文化栄えるこの町で、価値を見出されていなかったものに価値を与えているという点。

富山県氷見市は言うまでもなく、魚の町である、と多くの市民が認識しています。
そんな中、魚の皮というのは多くの場合ただただ廃棄されるだけの存在でした。
そこに光を当てて、価値のあるブランド品として世の中に届けているというその行為は僕にとっては”美しさ”を感じる物であります。
言ってしまえば、ジェラシーを感じるほどの筋の通っている町の活性化手法だと思います。そこの着眼点がまず素敵です。


リスペクトポイントその②
市場がほぼゼロのところに挑戦し続けているという点。

フィッシュレザーという言葉ってみなさん聞いたことありましたかね?
僕は全く聞いたこともなかったし、当然見たこともなかったです。野口さんが始めた数年前にはその市場はほぼゼロに近かったようです。
それでもフィッシュレザーの可能性を信じ続け、果敢に挑戦され続けている姿はリスペクトそのものです。

僕自身は、その当時氷見になかった”洋風民宿”をやろうと思ってイミグレを始めましたが、それでも元々ある氷見の民宿需要の中の物好きな方に1%でも来ていただければ成り立つだろう、との考えで始めました。既にある市場からの流入をあてにしていたということですね。
それが野口さんの場合はゼロから。


また、彼の場合は職人でありながらも経営者としてより多くの方にフィッシュレザーの魅力をお伝えするには?というところにも正面から取り組まれている姿も素敵だなと思います。

50年後、まだ氷見に住み続けるためには、彼のように思いを持って、自分で価値を生み出していくという精神を少なからず持ち合わせていないといけないではないか、と思う今日この頃です。

情報が溢れる時代、商品やサービスの価値で差別化が難しくなってくる時代。
だからこそ、広報活動に力を入れる手前の、その土台として「思いを持って良いものを作る」ということにより一層焦点を当てて仕事をしていきたいなと思います。

ちなみに僕はtototoの名刺入れを使用中です。そしてこの前会った時に長財布の無茶オーダーをしてきました。
みなさんもぜひHP見てみてください。

なんかPRぽくなりましたが勝手に書いてます。野口さん迷惑でしたらごめんなさい。ま、いっか。


– 宿屋のおやじ –

「タウンミーティング」独り言#8

こんにちは、宿屋のおやじです。

まだ学生の頃に聞いたタウンミーティングという言葉は、国会で使われていた「タウンミーティングじゃないんですから」でした。
その時はタウンミーティングってなんだろう?とすら思っていなかったかもしれません。ですが大人になった今、ときたまそういったものに参加させてもらっています。

タウンミーティングといえば、市民が集まって定められたテーマについてアイデアを出したり議論をしたりするものや、行政が市井の声を聞くために行うものなどがあるかと思います。
いずれの形においてもその場で何かが決定することや法的な拘束力を持つような場ではありません。そのことに対して、以前の僕は「なんでこんなことをするんだろう?意味なくない?市民より行政の人の方が色々知っていて賢いから行政が決めたほうが良くない?」と、かなり否定的に捉えていました。しかしながら、参加していく中で感じたことは「タウンミーティングという手法自体は有用である」ということでした。議題に対して複眼的に捉えることや思いついていないアイデアを得られる可能性もありますし、全体の合意形成を図る上でも有用です。しかしながら、あまり実りのなさそうな会があるのも事実です。いわゆる形骸化してしまうというやつです。

タウンミーティングが形骸化してしまう理由は”参加者”にあります。
参加者には主催者側(主に行政)と参加者側(主に市民)が存在しますが、それぞれの考え方やスタンスによって、この成果は大きく変わると思います。

例えば先日、富山県知事と一緒に富山の未来を考えるというタウンミーティングがありました。
そこでは、県知事から富山県が抱える課題や将来への方向性を聞いたり、30年後の未来にどんな町でありたいか、そのために今何をすべきか、といった内容でグループディスカッションを行いました。

会自体は沢山のアイデアが出たり、活発な交流が見られたりと大いに盛り上がっていたのではないかと思います。
ですが、これが本当に未来の富山を良くすることを目指す会であれば大切なのはここからです。今日出たアイデアが将来を良くするものであるならば、それは絶対に実現しなければいけない。その実現に向けて行政と市民が双方に努力をしていけるかどうかが非常に重要なのです。

行政側としては、市民の声を吸い上げ政策に反映している、というポーズのためだけではいけないし、今回の意見がどのように反映され、どのように反映されなかったかを開示すべきです。
一方で市民側は、好きなことだけ言いっぱなしであとは行政がなんとかしてください、というスタンスではいけないでしょう。言ったからには小さな一歩でも良いから一人ひとりの市民が努力をすると良いでしょう。
もっと言えば、そうしない限り僕らのような消滅可能性都市は存続が難しいと思います。
「こうなったら良いな、ああなったら良いな」だけでは誰もそれを叶えてくれません。なぜなら現代は人も金も潤沢でないから。地方で楽しく暮らすためには自責の念を決して忘れてはいけないと思うのです。
夢を見ることを良いことです、理想を掲げるのは良いことです。ですがそれだけではダメで、
「ああなったら良いな、だからこれをやろう」と自分達で動くところまでセットでやる覚悟を持つことが大切なのだと思います。

なので件のタウンミーティングが本当の意味で良いものであったかどうかは今はまだ判断ができず、これからの我々自身の動きによって決まると言えるでしょう。


ところでそのタウンミーティングの中では、AIや機械が進化した未来でこの町はどうなっているか?という問いかけがありました。それに対して僕は「本物の人間が接客している宿があるということで大バズり」と答えました。

今後ますますリアルの接客やリアルの体験の価値が高まっていきます。これは、人の温かみがやっぱり良いよね、というふんわりしたものもあるのですが、シンプルに”リアル接客の希少性が高まること”による価値の上昇があると思っています。
人間による接客とロボットによる接客の優劣や良し悪しは見る観点によって異なると思いますが、今後ますます接客分野においても省人化・機械化が進むでしょう。数十年後か、数百年後か、世の商業施設から人が消えるその時にも、イミグレでは人間による接客をお届けしたいと思っています。

話がそれましたが、先日のタウンミーティングで発言した未来を勝ち取るために、無くならない接客サービスを磨いていこう、と自分で勝手に決めたというお話です。

タウンミーティングや有識者を集めた会議などは、複数の視点から議題をあらうことで気づけなかった課題に気づける良い手法でもある一方、誰かが主体的じゃなくなった途端、時間の無駄以外の何物でもない時間へと変貌します。


このことを念頭に置いてこれからの宿運営やまちづくりに携わっていきたいと思うばかりです。


– 宿屋のおやじ –