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観光とは、その土地の光を観ると書きます。
語源は中国の易経の「観国之光」という言葉だそうです。
これは(正確には続きがあるようですが)、王が国を巡り、その土地土地の光(特徴や魅力)をよく観察し、国の発展に活かしなさい、という治世のための教えのようです。
僕はこの言葉がとても好きです。観光の本質を捉えているように思うからです。現代風にライトに言うと「観光は、単なるレクリエーションや物見遊山だけでなく、その土地の歴史や文化に触れ、人々と交流し、非日常的な体験をすること」と言えるかもしれません。
それこそ国の目線で言えば、日本各地の魅力を観光商品として整備し、海外のお客様に向けて販売する、所謂インバウンドへの対策に力を入れているように思います。我々のような、ほぼ何も海外のお客様対応ができていない北陸の小宿にさえ、月に10数人は日本語を全く話されない海外の方がおいでになります。そう考えると、我々も国策の一端を担えているような気がしないでもないです。
さて、現代における観光の定義のようなものは概ね上述の通りとして、その効用や目的は?
これをイミグレでは
■効用=「心の可動域が広がる」
■目的=「明日を生きる力を養う」
としています。
僕がこの宿を通して、お越しいただく皆様に提供したいのは、心と言いますか価値観のストレッチです。日々忙しい現代を生きる方々に、日常とは異なる空間でお過ごしいただき、世界の振れ幅を感じていただきたいのです。都会の喧騒の中で生きる方にとっては、夜明け前にポッポと船出する漁師さんの生活が新鮮かもしれません。同じ町に生きる方々にとっては、外国の方が夕暮れのテラスでワインを楽しまれている様子が新鮮かもしれません。
僕ももちろんそうですが、日々を必死に生きていると、見える世界がどんどんと狭まっていくように感じます。ともすると、それが辛さや寂しさに繋がってしまうことだってあるでしょう。なんとも言えない閉塞感に苛まれることもあるでしょう。
そんな時、自分だけではどうしようもなく狭まる視界を広げてくれるのが
紛れもなく「観光」であると僕は信じています。
知らない土地に行って、美味しいものを食べて、美味しいものを飲んで、見たことのない景色や光景を見て、その土地の人に出会い、文化や暮らしの一端を垣間見て、「こんな世界や生き方もあるんだな」と知ることで心が少しだけ軽くなる。そんな時間をご提供できれば、明日がちょっとだけ明るくなるんじゃないかなと思っています。
まだまだ改善すべきところは多いですが、理想のお宿に向けて日々精進してまいります。
宿屋のおやじ
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