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「2025年05月」の記事一覧
こんにちは、宿屋のおやじです。
私ごとですが、数ヶ月前に子を授かりました。
日々、子育てにあくせくしていたりもするのですが、その中でうつ伏せの練習、いわゆる「タミータイム」なるものがあります。ベビーの発育を促す効果があるようで安全面に配慮しながら行っています。この練習というか遊び中、ベビーは顔をあげようと頑張っており、自然と「がんばれ〜」と応援の声が出ます。赤ちゃんは生まれて間もない頃から、いや、生まれる前からすごく頑張っています(母も当然すごく頑張っていらっしゃいます)。
赤ちゃんの時期には、ハイハイから始まり、立ち上がって歩く、言葉を発する、ご飯を食べる、どれも始めてのことばかりで、周りから応援されて、めちゃめちゃ頑張ります。
小学生になれば、勉強を頑張ったり、スポーツを頑張ったり、文化や芸術やボランティア活動を頑張ったり、これは多くの方では18歳くらいまで続き、その後も進学して頑張り続ける人もいるかもしれません。
このように子供の頃は、常に頑張れと応援され続け、何かしら広い意味でトレーニングに勤しんできたように思います。これは人というか人間というか社会的動物としてより良く生きていくためのトレーニングであったと思います。
そんな時ふと思いました。
”大人になってから成長のためのトレーニングってしてるんだっけ?”
もちろん、生計を立てるため、家族を養うため、仕事を一生懸命に頑張られている方が多いと思います。かく言う私も、生きていくためにも仕事を一生懸命に頑張っているつもりです。ですが、自分を省みると、人としての成長のために頑張れているかというと、疑問符が残ります。
もっと言うと、生活のための努力に加え、自分が作りたい世の中(身の回りの社会)やありたき姿への頑張り、幼い時には当たり前にできていた、人として成長するための努力をできているかどうかということです。
少し、抽象的な話になってきました。
一方で、仕事を通じて人間的な成長を得る、ということも大いにあると思っています。僕自身、前職時代も宿屋を始めてからも、仕事を通じて学ぶことばかりです。社会を構成しているのは自分の頭では到底考えられない膨大な事物であり、そしてまたそれらが複雑に絡み合っているのだということ。人を動かす、心を動かすということが非常に難しく、尊いものであるということ。とにかく日々新たな発見に満ち満ちています。
いよいよ何の話か分からなくなってきましたが、仕事と地域と自分、これが一本の筋で繋がっているような生き方をしたいということが言いたかったのだと思います。
田舎で生きたいと思うならば、社会インフラのことや地域システムの持続可能性を考えざるを得ません。地域の衰退はかなりダイレクトに社業の盛衰に関わってくるからです。社業の発展と同時に地域の活性を考えることが必要不可欠なのです。その1番の近道は良い事業を作ってそれを拡大させ、やりがいと収入の伴った雇用を生み出すことだったりするので、また仕事の話に戻ってきたりもします。。。
稼ぐこと、貢献すること、自分のやりたいこと、この3つが可能な限りリンクするような生き方ができることが幸せのカタチなのではないかとも思う、今日この頃です。我々の会社の名前は「ユメミガチ」というのですが、そんな生き方を望む夢見がちな宿屋のおやじが、夢見た者勝ちの世の中にしたいと思って作った会社です。今後ともご贔屓くださいませ。
このブログでは毎回分不相応な理想を語っているので、書いた後にいつもちょっとした自戒と明日への緊張感に繋がる何とも言えない感じになります。これもまた人間的トレーニングだと思って引き続き呟いていきたいと思います。
みなさん、頑張りすぎもそれはそれでほどほどにして、美味い飯食って美味い酒飲んで早めに寝てください。
宿屋のおやじ
「インスペクション」とは英語で「検査」や「点検」を意味する言葉です。
よく使われるのは住宅売買などの世界で、物件を点検や精査することを指すことが多いようです。
同じようにホテル業界でも、チェックイン前に客室の不備がないかを確認する作業などもインスペクションと呼ばれていたりします。要するに現状のチェックですね。
点検を行い、問題や不備があれば修理や改善を行う。作ったら作りっぱなし、提供したら提供しっぱなしではなく、常に現状を確認しより良い状態に保っていきましょう、という話です。
とても重要なことで、宿泊施設でお客様が入られる前にお部屋のチェックをしていないところはないでしょう。それくらいに当たり前で重要なことです。
ですが、”観光地”という単位で考えるとどうだろうか。例えば、僕は富山県氷見市の観光協会に属しています。そんな自分は氷見市を観光しているだろうか?県外から来られるお客さんの目線で観光を体験、もっと言えばインスペクションしているだろうか。
宿を作って、料理を考えて、アクティビティを考えて、「はい、どうぞ!」とした後に、冷静にその内容を振り返り、さらなるブラッシュアップができているだろうか。自信を持ってyesとは言えません。
自分が観光に来たとしたら、何があるとさらに良いか?これはなくても良いんじゃないか?そんな視点を持ち続けることが重要なのだと再確認できたのは、
GW最終日に昼すぎから近くの商店街で酒を飲み始め、なんだか観光に来てるみたいだな〜と思えたからであり、そう思わせてくれる、昼から酒を飲ませてくれるお店があるからであり、つまりは感謝、ということです。
-宿屋のおやじ-
観光とは、その土地の光を観ると書きます。
語源は中国の易経の「観国之光」という言葉だそうです。
これは(正確には続きがあるようですが)、王が国を巡り、その土地土地の光(特徴や魅力)をよく観察し、国の発展に活かしなさい、という治世のための教えのようです。
僕はこの言葉がとても好きです。観光の本質を捉えているように思うからです。現代風にライトに言うと「観光は、単なるレクリエーションや物見遊山だけでなく、その土地の歴史や文化に触れ、人々と交流し、非日常的な体験をすること」と言えるかもしれません。
それこそ国の目線で言えば、日本各地の魅力を観光商品として整備し、海外のお客様に向けて販売する、所謂インバウンドへの対策に力を入れているように思います。我々のような、ほぼ何も海外のお客様対応ができていない北陸の小宿にさえ、月に10数人は日本語を全く話されない海外の方がおいでになります。そう考えると、我々も国策の一端を担えているような気がしないでもないです。
さて、現代における観光の定義のようなものは概ね上述の通りとして、その効用や目的は?
これをイミグレでは
■効用=「心の可動域が広がる」
■目的=「明日を生きる力を養う」
としています。
僕がこの宿を通して、お越しいただく皆様に提供したいのは、心と言いますか価値観のストレッチです。日々忙しい現代を生きる方々に、日常とは異なる空間でお過ごしいただき、世界の振れ幅を感じていただきたいのです。都会の喧騒の中で生きる方にとっては、夜明け前にポッポと船出する漁師さんの生活が新鮮かもしれません。同じ町に生きる方々にとっては、外国の方が夕暮れのテラスでワインを楽しまれている様子が新鮮かもしれません。
僕ももちろんそうですが、日々を必死に生きていると、見える世界がどんどんと狭まっていくように感じます。ともすると、それが辛さや寂しさに繋がってしまうことだってあるでしょう。なんとも言えない閉塞感に苛まれることもあるでしょう。
そんな時、自分だけではどうしようもなく狭まる視界を広げてくれるのが
紛れもなく「観光」であると僕は信じています。
知らない土地に行って、美味しいものを食べて、美味しいものを飲んで、見たことのない景色や光景を見て、その土地の人に出会い、文化や暮らしの一端を垣間見て、「こんな世界や生き方もあるんだな」と知ることで心が少しだけ軽くなる。そんな時間をご提供できれば、明日がちょっとだけ明るくなるんじゃないかなと思っています。
まだまだ改善すべきところは多いですが、理想のお宿に向けて日々精進してまいります。
宿屋のおやじ