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「2025年06月」の記事一覧
こんにちは、宿屋のおやじです。
このブログを始めた理由のひとつに
「AIには書けない自分自身の思いを綴ることで、誰かの心に届くかもしれない」
と思ったということがあります。
感じたことや考えていることをダラダラと、体裁も気にせずに書き殴る、これはAIでは絶対に無理なことだ!と思っていたのですが。。。先ほどとあるAIさんに「宿屋のおやじの独り言のブログを一通り見て、新たな記事を書いてみて」と言ったところ、僕より僕らしい、僕の思いを代弁してくれるような素晴らしい記事が上がってきました。なんか、辛いです。
気を取り直して、AIに勝つ負けるではなく、一緒に共存していこうとソッコーで切り替えました。
そんな僕のAIとの共存方法は、宿屋のおやじとしてこれついてはどう思っている?や、みんなに興味を持ってもらえるテーマはこれだと思うよ、とテーマを提案してもらい、それに基づいて僕が独り言をつぶやくというスタイルです。
基本的には普段生きていて、書きたくなったことを書いているのですが、たまにはテーマをもらってそのことについてみるのもネタが尽きなくて良いなと思ったのです。
というわけで、本日はAIさんが投げてくれたテーマ
「地元とはいつから地元になるのか」です。
なかなかに面白いテーマだと感じます。
僕自身は生まれてから高校の卒業まで、当館のある富山県氷見市で育ち、大学と仕事で8年間大阪に住んで、26歳の時にUターンで地元に戻ってきたという流れです。ですので僕にとってはあまり違和感なく、氷見が地元だと思います。
地元と思えることの良し悪しはあるとは思いますが、基本的に僕の考えは、地元とは自分にとってのよすがとなるものであり、ポジティブに捉えています。言い換えるとふるさととも呼ぶかもしれません。
ですので地元はあると良いんじゃないかなーなんて思います。
では、地元とは生まれ育ったからそうなのでしょうか?長く住んでいるからそうなのでしょうか?
そうとも限らないでしょう。移り住んで1年で地域の人気者みたいな方もいれば、住んでいないのに地元民のような方もいます。
地元とは、出自や時間による場所のことではなく、
”覚悟や関わりによって醸成されるポジティブな心のもちよう”
を与えてくれる場所だと僕は考えています。
共に生きる(直接的な居住に留まらない)覚悟と定期的で継続的な関わり、その関係性から生み出される、心をぽかぽかさせてくれる場所やコミュニティのことを地元と呼ぶのだと思います。
綾波レイにとっては碇シンジ君がそうであったように、心をぽかぽかさせてくれる何かを地元と呼ぶのです。ですから、生まれ育って長く住んでいても、「この町は面白くない、どこかに行きたい」と思っている方にとってはそこは地元ではないのかもしれません。
そう考えると、僕にとっての氷見という町はまさに地元と言えるでしょう。
最近、宿のエントランスまでの短いアプローチを苔庭風しようと、そこらへんの道端から苔を取ってきて移植しています。先日、田んぼ道を運転中に大きな苔の塊を見つけ、すかさず採取したのですが、その時も心がぽかぽかしていたように思います。先日は宿仲間と海を見ながらBBQをしていたら、浜辺でシニアのご夫婦が釣りを楽しんでいらっしゃったの見て心がぽかぽかとしました。
日常のいろんなシーンにぽかぽか要素があるこの町は、まさに僕にとってかなりの地元だと思います。もしかすると、世界のどこにいてもその場所のぽかぽかを感じられる能力を手にすれば、人生がもっと楽しく生きやすくなるのかもしれません。
タイトルの問い「地元とはいつから地元になるのか」
その答えは「覚悟を持って継続的にその地域と関わると決めたその日から」となるのではないでしょうか。
– 宿屋のおやじ –